No.10「野良犬エンペラ」

その家に子犬が貰われてきた頃。
野良犬一匹が近所を徘徊するようになった。
朝夕になると近所のお宅で餌を頂戴できるため、時間になるとその辺をうろちょろしていた。

あるとき家の前の畑が荒らされていた。
犬の仕業とすぐわかる。
せっかく種蒔きをした畑が、足でかいてめちゃくちゃにされている。
(きっとあいつの仕業だ)

ある夏の朝、2階の雨戸を開けると道路向こうの畑をみて子供が叫ぶ。
「あ、お父さん!畑にエンペラだ!」
その野良犬は、近所の子供達の間でそう呼ばれている。
(やっぱりあいつだ!)
エンペラは耕した畑をねぐらにして丸くなって寝ている。
家の主はあわてて飛び出していたずら野良犬を追い払った。
またもや荒らされていた。

その後もエンペラは時折姿を見せた。
犬と散歩をしてニアミス状態になると、荒くれ者のエンペラは首を僅かに 下げ見上げるようにしてうなり声をあげる。
(しっ!しっ!向こうへ行け!)
保健所にでもつかまってしまえばいいんだ、と思う。

季節はいくつか過ぎて、エンペラは仲間を得た。
どこで見つけたのだろうか。
弟分のような相棒といつも一緒だ。
早朝、相棒と連れ添って用水路脇を一目散に走っている。
赤とんぼの飛ぶ夕暮れ時二匹は田んぼのあぜ道をうろちょろしている。

ある時、エンペラの姿が消えて久しいことに気がつく。
(どうしたかなあいつ!?)

自転車を走らせ駅に向かう道すがら、久しぶりにエンペラを見かけた。
荒くれ者が片方の前足を引きずっている。
(どうしたお前、いたずらしてひどい目にあわされたか?
 それとも車にでもひかれたのか?)

半年ほど過ぎたろうか相変わらずびっこは良くなっていない。
相棒もいつの間にか消えたようだ。

そしてまた、いくつか季節が過ぎた。
長いこと引きずっていた足の怪我も今は治った。
自由にみえる野良犬であるが、いっぱしの野良犬として生きて行くにはそれなりの苦労もあったのだろう。
最近はかつての荒くれ者エンペラの姿はない。

あぜ道を散歩をしているとエンペラとハチ逢わせになることがある。
そんなときエンペラは決まって相手に道を譲る。
こちらの様子を見てとると、少し前で道をそらして脇へと入る。
主と飼い犬が通り過ぎると、エンペラは脇からもとの道に戻って進んで行く。
しかし怖じ気づいた負け犬の目と歩き方ではない。
むしろ以前よりも落ち着きと風格も出てきたように感じる。

主の飼い犬はそんなエンペラを見て、してやったりと勝ち誇ったようにしている。
「こら!お前も見習わなきゃぁな!」
主は飼い犬に声を掛けリードを引いた。 

(2002年記)