No.5 「『相田みつを』のこと」
相田みつをという名前を初めて耳にしたのは、随分前のこと。
TBSラジオで大沢悠里の番組の中で作品を朗読していた。
大沢悠里が紹介する短い作品は、特段気にとめるでもなく 聞き過していたが、「相田みつを」の名前はしっかりと刻み 込まれていた。
もう2年ほど前になるが、夕刊紙に掲載されていたコーナーを 通して「相田みつを」と久しぶりにめぐりあった。
- 雨の日は 雨の中を
風の日には 風の中を -
- そんかとくか
人間のものさし
うそかまことか
佛さまの
ものさし -
-花には人間のような
かけひきがないからいい
ただ咲いて
ただ散って
ゆくからいい
ただになれない
人間のわたし -
いくつかの作品を目にして、もっと深く知りたくなり、本を買った。
独特の書体で綴るその作品は、ワープロの書体では、表現できない。
つまり詩人相田みつをの思いに乗せて、書家相田みつをの思いが筆から 発しているのだ。
だれとも比べない、ほんとうの自分
見栄や打算だけでない真実のこころ
相田みつをは、そんなことを思い描きながら一生を送ったに違いない。
相田みつをの残した作品には、世知辛い世の中にあって、
こころが洗われるようなそんな出会いがある。
相田みつをは、大正13年栃木県足利市の生まれ。
曹洞宗高福寺の禅僧に師事し仏法を学んだ。
二人の兄との少年時代のこと。
ある日、兄は弟をかばって紙芝居のおじさんから殴られ じっと我慢していた。
その帰り道、棒切れであたりにある彼岸花を全部折った兄。
成績優秀だったが、貧乏にして中学校へ進めず、土間にある炭俵に顔を 突っ込み一日中泣いていたもう一人の兄。
その二人の兄は、戦争へ行く前に、みつをに言った。
「お前なあ、男として生まれてきた以上、自分の納得する生き方をしてくれよ。
世間の見てくれとか、体裁よりも、自分の心の納得する生き方をしてくれよ」
「同じ生きるんだったら、少しでも、世の中に役に立つような生き方をしてくれ。
そして、どんなに苦しくても、音をあげちゃいかんぞ」
そう言い残して、兵隊に行って帰って来なかった。
みつをは言う。
「三人分の力を合わせれば少なくても人並みぐらいの仕事はできるはずだ。
たとえ私の力は弱くとも・・・
苦しいことにぶつかるたびに私は心の中でそうつぶやいてきました」
「相田みつをは、詩人でも書家でもなく人間相田みつをとして定着し 広く浸透していくような気がします」
(相田みつを美術館 館長:相田一人)
「いのちいっぱいじぶんの花を」
「いまここに だれとも くらべない
はだかのにんげん わたしがいます」
「あなたの
こころが
きれいだから
なんでもきれいに
見えるんだなあ」
「自分が自分
にならないで
だれが自分になる」
「外灯というのは
人のために
つけるんだよな
わたしはどれだけ
外灯をつけられる
だろうか」