No.10「兵法から脱線して」

与作は木を切るぅ~ ヘイヘイホ~ ヘイヘイホ~ 
へいほう、すなわちその兵法の書物として知られる「孫子」について、 読んだことがあります。

「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」
「百戦百勝は善の善なる者にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」

などと、実際の戦いだけでなく、日常の生活でも役立ちそうなものがあって、 なかなか読みごたえがあります。
孫子の用間編に、諜・謀の記述があり、それが忍術の出どこらしいですね。
忍者の「印と呪文」が、密教徒の「印と呪文」と同じであるとは知りませんでした。
そう言えば、二、三本の指をもう片方の手で握り、顔のあたりで呪文を唱えるその姿は、 修験者や密教徒など同じに見えます。

遠い昔を想い返してみると、隠密剣士やサスケ、忍者部隊月光、仮面の忍者赤影 などが流行っていて、学校から帰ると、はなたれ小僧どもが茅の生い茂った野原に 入っては、「忍者部隊月光ごっこ」などしたことも懐かしい思い出であります。
手裏剣などは、缶詰の蓋を金切りばさみで星の形に切り、ヤスリで研いで念入りに 仕上げをしたものです。
今考えれば、危ないからやめろ!といわれそうですが、作った手裏剣を、 人間の形に作った標的めがけて、数メートル先から投げつけ、 いつ忍者の勧誘を受けてもいいようにと真剣に練習をしておりました。
風呂敷を三角にたたみ、その一辺から頭を突っ込み、目だけ出るように顔に巻いて 忍者に変身。
「この葉隠れの術」は、その風呂敷を体にかけて小さくうずくまったりと、 随分現実離れしたものに、夢中になっていたものだと笑ってしまいます。

最近の子供にも冷笑されそうな昔の忍者ごっこですが、少年のロマンチズムにも 時代とともに変化があるのでしょうね。

「柳生流兵法口伝聞書」に十兵衛の絵があって、どことなく宮本武蔵に似ており、 剣豪の風貌とは、およそこのようなるものかも知れぬと思った次第であります。
宮本武蔵といえば、昔、“荒木またずれ”とともに“宮本むさくるし”が登場する てんぷくトリオのギャグを思い出しました。
時代とともにお笑いの質も随分と変わってしまいました。