No.11「異種格闘技世界タイトルマッチ」

 

十年一昔で言えば、「2.5昔」くらい前の話になる。
その日は、我らがアントニオ猪木とモハメド・アリの異種格闘技世界タイトルマッチが 行われた記念すべき日であった。
力道山以来、プロレスも随分と歴史と変遷を遂げたことになろうが、力 道山の愛弟子であるジャイアント馬場とアントニオ猪木が支えた時代は、 随分と長かったように思う。

私自身は、子供の頃に父親が楽しみにしていた「プロレス」を一緒に見 ていただけである。
-が、見ていると段々興奮してくるものがあった。
たまに、プロレスに興奮したお年寄りが黄泉の世界へと旅立たれるとい う痛ましくも、考えようによってはこれも人生か、と思えるニュースを 見聞きするたびに、興奮も適当なところで抑えられるようにならねば.. と幼いながらも考えたものである。

それから年月は流れ、プロレスは殆ど興味を失ったが、猪木とアリの 異種格闘技戦が行われることになり、大変な前評判とともにその試合には、 日本中が?注目をしたのである。

運命のその日は確か土曜日であったが、当時はまだ完全二日制ではなく、 こともあろうか生憎の出勤日となってしまったのである。
しかも技術担当は、たった一人の勤務であった。
午後1時か2時頃のゴングだったろうか。
私は、試合のことが頭から離れずに悶々として仕事をしていたのである。
ところがである。
願いが天に通じたのか、何とも奇跡的なハプニングが起きたのである。

当時私は、横浜の山下町で仕事をしていた。
そこの会社の裏手には、国際色豊かな横浜らしく外国人の老夫婦が住んでいた。
時々夫婦で歩いている所を見かけたが、男性はハットとステッキを持っていかにも 英国紳士らしい雰囲気が漂っていた。

その日の午後、
「会社のビルのお陰でTVが映らない」
と、裏の老人からクレームがあった。

苦情を受けた業務担当の責任者から、
「とりあえずみてきて欲しい」
と依頼されたのである。
ところが、技術担当と言っても、何でも出来るわけではない。
仕事とは関係ない範疇だしTVの修理などしたことはない..とは言え、
断るわけにもいかなかった。

いきなり見えなくなったとしたら、アンテナでもはずれたか!?
何はともあれ、工具箱一式を持って出かけて言った。
おそるおそるどうなることかと、案内されたリビングに入った。
するとどうだろう。
具合が悪くなったというテレビは、何とか映っている。
ちょっと気が楽になった。
老夫婦は、上手ではないが日本語も十分話せた。
いろいろ聞き出そうとするが、とりあえず、座って飲み物でも飲めという。
いずれにしろ現象が出ないとわからないので、暫く様子を見ることにした。
すると、これから世紀の一戦の「アントニオ猪木対モハメドアリ」の試合がまさに 始まろうとしているではないか..!
(おおっ!神様、仏様!)

試合が始まると、ご夫妻はアントニオ猪木の大ファンらしく、大声で我らが猪木に 声援を送っていた。
猪木は、ゴングが鳴ると突然背中をリングにつけて横になり、アリのパンチを防ぐ 作戦に出た。
これには、唖然とした。なるほどこれなら、ヘビー級チャンピオンの必殺パンチを 浴びることはないだろう。
アントニオ猪木は「アリキック」なる蹴りを寝ころんだままの姿勢で時々打ち 出していた。
ところが、2、3ラウンド過ぎたあたりから、老婦人はだんだん苛立ってきた。

「猪木さんは、あんなことしなくたって、強いよ!」
「何で起きて戦わないの!」

私も、だんだん苛立ったきたものの、半分仕事で来ている身の上であり、 そうそう興奮するのはみっともない。
それにTVの調子も安定しているようだし、そろそろ会社に帰らねば..
という思いと裏腹に、このまま最後まで見ていたいという思いが交錯する。
当時まだ若かった私は、後ろ髪を引かれつつ決断して老夫婦に告げた。

「あのぉ、テレビ大丈夫のようですから帰ります」

すると、
「何言ってんの!最後まで見ていって」
もっと飲み物を持ってくるから飲んでゆけという、願ってもないありがたいお言葉。
「それじゃ、もう少し様子をみましょうか..」と居座ってしまった。

我らがアントニオ猪木は、その後もアリキックの体制のまま変化無し。
たまにアリの下半身をかするが、決定打は出ない。
アリも猪木にパンチを浴びせるが、殆どあたらない。
いつかは、猪木はチャンスを見計らって立ち上がり、どっちが倒れるかの壮絶な バトルを繰り広げるに違いない。
その時を日本国中が待ちわびたのである。

しかしである。
よもやの展開で、ついに最終ラウンドも終えてしまったのである。
結果はドロー。
なんだかんだと、最後まで無事?に試合を見て、念願は果たしたものの、 全く想像だにしなかった展開に、何ともガッカリして会社に帰ったのである。
それにしてもテレビの調子は極めて良かった。どうやら老夫婦は話し相手が欲しかったらしいのだ。
それにしても何とも懐かしき、四半世紀前の出来事である。