4.「遊びごころについて」

 たとえば、刺身の”つま”を考えよう。

 本来脇役で、無くてもいいようなものかもしれないが、これが有るのと無いのでは全く 主役の存在感が違ってしまう。
 つまである、大根にしろ、しその葉にしろ、もちろん食べられるものである。
 しかし日本人の多くは、あくまでも刺身のつまとしてみていて、刺身と同等の食べ物としては、 あまり認めていないようだ。
 この場では、”つま”を食べる、食べないの議論はさて置き、有ると 無いとの違いを考えてみて欲しいのだ。

 彩りや見栄えは、食欲に大きな影響を与えているはずだ。
 だから、刺身だけが無造作に食卓に並んだり、スーパーのプラスチック 容器などに乗せられていては、たとえ上等の刺身を仕入れても、食べ物を 楽しみながら食べるという点では、半分損をしているようなものだ。
 思うに、刺身の”つま”は、日本人の遊び心ではないだろうか。

 やがて君たちも結婚するに違いない。共稼ぎで、あわただしい生活を 経験するかもしれない。
 また、子育てに追われている時期などは、心に余裕などなく ただ日々の日課を消化するだけの生活になりがちである。
 子育てでなくても、その時々の事情でただ汲々として、ゆとり など、無くなってしまうことがある。
 君たち3人の娘たちにお願いしたいのは、日常生活に遊び心を 取り入れて日々の生活を楽しんで欲しいということだ。

 遊び心とは、そんなに難しいことではなく、手間暇のかかることでも 無い。
 どんな忙しい人でも、遊び心のある人は、そのように振舞えるし、 時間に余裕のある人でも、遊び心の無い人もいる。
 つまり、その人の感じ方、振舞い方なのである。

 父の考える、遊び心とは、非常に些細なことだ。
 たとえば、子守りで春の公園に出かけたとしよう。
 子供に注意を払いながらも、昨日と違う微妙な温度差、空気、樹木の様子を楽しんでは、 どうだろう。
 ついでに、帰りは道に咲く草花を一輪とって、食卓に 飾ってみてはどうだろう。
 草花には、やはり手作りの一輪挿しがよく似合う。これは、父の作品 を使ってくれればありがたい。
 一輪の花が、仕事を終えて帰った亭主をほっとした気持ちにさせてくれる かもしれない。
 或いは穏やかな会話の手助けになるかも知れない。

 例えば、季節の花を植えたプランターに、「WELCOME」とある 小さい板などを差込んで置くのも、訪れた人の目にとまると楽しいものだ。
 もちろん、好き嫌いは人それぞれであろうが、とりあえず自分が うきうき出来るようなら、それで満足していいだろう。

 それから例えば、家事をしながら、そのときの自分の雰囲気に合った、音楽など を流してはどうだろう。
 ストレス解消法のひとつに、音楽の効用があげられている。
うまく音楽を生活に取り入れて、子供や亭主の気分、 もちろん自分の気分も上手にコントロールしてはどうだろう。

 日常の生活用品や小物、家の中を少しだけ変えてみる。
 自分にあった茶目っ気というか、生活の彩りを工夫するということ から、遊び心を考えてみてほしいのだ。

 晴れて穏やかな昼下がり、本当にゆっくりしたいと思う日だった。
 一人で過ごした1日だった。
 どこへ行くでもない、昼時を我が家の小さな庭にゴザを敷き、ここで お昼をとった。
 冷蔵庫から取り出した梅干や山海漬け、佃煮などを少しずつ皿に 乗せてみる。
 戴いたあさつきと味噌も用意する。
 ひとつだけ残っていた鯵の干物を焼いて白萩皿の上に載せてみる。
 ご飯は碗に盛らずに、小さな握り飯にして素焼きの備前風の器に二つ ばかり作った。
 朱塗りの膳にそれらを並べる。色鮮やかだ。見ているだけで楽しい 気分になってくる。
 勿論、徳利には酒が入っている。ぐい飲みはどれにしよう。 一番その日に合った色、形のものを選んで、外へ運ぶ。
 うららかな春の陽気に、そのあとゴザにひっくり返ってのんびり過ごした。
 これが、一人でとった、ある日の休日のひとときだった。

 自分自身が遊び心をもつと同時に、同居者のささやかな遊びごころも認めて あげて欲しい。
 できれば、家族みんなが小さな安らぎ感を共有できれば一番いいと思うのだ。
 生活を楽しむ工夫を心がけることは、君たちとその家族の幸せに、 大きく関係してくると父は思っている。
 肩に力をいれることなく、少しだけ楽しみを見つけてみよう。
 主役である自分の生活を引き立たせるために。

(2000年暮れ記)